養鶏場から北西約15Km程度にあります。道後温泉と松山城は松山観光のシンボルです。慶長6年(1601)に加藤嘉明が家康に築城の許可を受けたと言われています。普請奉行は足立半衛門で彼は足立重信として広く市民に知られています。養鶏場に接している重信川は彼の河川改修にいわれがあります。現在の松山は彼がいなければ違った形になっていたでしょう。
【石鎚山】(平成16年7月13日)
養鶏場付近からの石鎚連峰です。赤い屋根の真上にあるやや薄い青のふたこぶの山が連峰です。真中の谷の部分の向こうに西日本最高峰石鎚山が見えますが写真では見えません。見ることが出来るの年に僅かの日のようです。台風もこの山のお陰で被害が殆ど出ません。前面の緑は稲です。順調に生育しています。
【徳川神社】(平成16年7月1日)
農場から真南へ約1.5Kmのところにあります。このお宮は農場からもっとも近い神社です。先日の台風のときは朝早くから、被害に遭わないようにお願いに参りました。被害に遭われた地方の皆さんには申し訳ありません。この神社のご由緒には祟峻天皇・小千宿禰・土岐・河野とかありました。徳川城という中世の城があったようです。四国山脈の山裾に位置し、鳥居の背後の山頂に社殿があります。
【四国遍路開祖文殊院】(平成16年6月20日)
農場から西へ3Km程にあります。四国遍路元祖 河野衛門三郎の物語の巻物が保存されています。昭和41年植樹祭で天皇・皇后両陛下行幸の際、故八木繁一博物館館長より当院を四国八十八ヶ所発祥の寺院であると言上されたそうです。また当院は弘法大師が衛門三郎の子供の供養と共に悪因縁切御修法をなさった四国唯一の有り難い寺と記されていました。(入口案内板より)
【田植え開始】(平成16年6月10日)
松山地方で最も遅い田植えとなりました。当農場周辺は例年水の状態によって田植え時期が異なります。今年は平年並のようです。水田は当地にとっては大事な貯水ダムの役目をしてくれます。
【長慶天皇陵】(平成16年6月4日)
南北朝時代の南朝最後の天皇と言われています。愛媛県玉川町の楢原山山頂にも長慶天皇ゆかりの言い伝えがあります。紀州玉川の里に一時隠れたと言われています。同じ玉川の名に因縁を感じます。この付近は中世動乱の軌跡が数多く残っています。(農場より北東2Km 長慶天皇陵 推定地)
【田植え準備のようす】(5月20日)
農場近くの麦畑です。収穫後田植えの準備が真っ盛りです。愛媛は裸麦生産日本一です。