例年この時期には木枯らしが吹き荒れバラの花を見ることはできませんが、今年はご覧のようにバラが元気良く咲いています(殆ど落葉していません)。春に咲くバラよりも色が綺麗で長期間咲き続けます。この様子では正月も花を楽しむことができることとなりそうです。自然災害の多かった年を象徴するような季節外れのバラです。
【うどん】(平成16年11月23日)
「うどん」は香川が特に有名ですが、愛媛も沢山の「うどん専門店」があります。写真上は当養鶏場から徒歩5分程度、下は車で7分程度に有ります。最近この付近は出店ラッシュ、車で10分以内に8店舗、安いものは「ガレージでのうどん店」で手打ち一杯100円からで、美味しさもなかなかです。伊予人のうどん好きは讃岐に負けず劣らずです。
私も国産小麦100%の農家直の「うどんクラブ」にはいって月一回配布のうどんを楽しんでいます。(農家直うどんクラブ しげかわランドスケープ(有))
【四国の道】(平成16年11月13日)
養鶏場の近辺で写真のような道標を随所で目にします。四国には八十八ヶ所の「へんろ道」があまりにも有名ですが、「へんろ道」と重複部分もある「四国の道」も四国の歴史・文化・自然を体感できるプロムナードです。この道は、歴史・文化指向の建設省ルート(約1300Km)と、自然指向の環境庁ルート(約1600Km)があり、現在も整備が進められています。下写真は左が古くから有る「へんろ道」の案内です。何時の日か全ルートを歩いてみたいと思っています。
【48番札所 西林寺】(平成16年10月26日)
前回の杖の淵公園のすぐ傍にあります。(農場から西へ4Km程)天平13年(741年)行基が開基し、大同2年(807年)弘法大師らによって現在地へ移し再興。本尊は秘仏のため住職でさえその顔を滅多に見たことがないという。最下段の写真は山門脇の子規の句碑。
【ていれぎ】(平成16年10月22日)
農場付近は石鎚山系からの伏流水が清水となって湧き出ています。この清水は「ていれぎ水」と呼ばれ、日本百名水に選ばれました。松山市も市民が清水に親しめるよう「杖の淵(じょうのふち)公園」を作りました。
毎日、水汲みに来たり、散策する人で賑わっています。上写真は名前の由来となった「ていれぎ」です。水底に生え、刺身の妻にします。中は説明看板。下は公園の様子。
【秋祭り】(平成16年10月7日)
今朝のNHKニュースでも紹介されましたが伊予路の秋祭りが始まりました。今日は松山地区の神輿巡行で一気に盛り上がりました。上写真2枚は道後の喧嘩神輿です。宮出しと鉢合わせの写真(昨年撮影)。下は養鶏場近くを巡行する神輿でのどかに巡行していました。
【46番札所 浄瑠璃寺】(平成16年9月15日)
8月7日に掲載した八坂寺のすぐ近くに浄瑠璃寺があります。上段写真は最近目立って多くなった歩き遍路さんでしょうか?中は本堂前で台風で折れた木を掃除していました。幸い大事はなかったようです。下は八坂寺へ行く道標です。
708年行基によって開基。807年弘法大師により堂宇を創建。戦国時代荒廃・中興を繰り返す。その後地元の僧尭音が復興。
「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」 子規(石段登り口左にあります)
【稲刈り始まる】(平成16年9月5日)
農場周辺で稲刈りが始まりました。松山平野の稲刈りは10月初旬にほぼ終えます。その後の伊予路は秋祭り一色になります。松山平野の秋祭りが最初です。急速に秋らしくなってきました。
【松山市街】(平成16年8月21日)
写真中央の山が松山城・瀬戸内海に見える島が興居島です。(右が北になります。)人口約48万四国最大の街です。1600年頃の松山城は勝山と呼ばれた山でその周辺には僅かな集落があっただけでした。それ以前は河野氏の居城があった道後が中心でした。松山市には鍛冶屋町・畳屋町・紺屋町・呉服町・木屋町・米屋町等の職人・商人町が多くありました。この事からも人工的に作られた街だとわかります。1694年には松山城下全体で家数5553軒だったそうです。
【八坂寺】(平成16年8月7日)
養鶏場より西へ4Km程、四国山系の山を下った麓にあります。四国八十八ヶ所の47番札所です。寺伝によれば600年代に修験道の開祖「役の行者小角」が開山、大宝元年(701年)文武天皇勅願所として七堂伽藍を建てたといわれている。修験道の道場として隆盛を極めたが戦国時代に焼失し、後再建し今の地に移った。住職は代々八坂家の世襲で百数十代になると言う。四国遍路は大変盛んで若い人も多い。3枚目写真は若いお遍路さんの自転車。