連日34度から35度の猛暑が続いています。農場の花や木の水やりが大変です。早く一雨欲しいものです。写真は農場に咲く白花夾竹桃とポーチェラカです。
【イネ】(平成17年7月16日)
田植えから1ヶ月経過した水田です。水害が心配された大雨でしたが幸い恵みの雨となりました。
【田植え】(平成17年6月14日)
養鶏場周辺で田植えが始まりました。この付近の田植えは松山平野部で最も遅く、天候に左右され勝ちです。明日中には全て終わることでしょう。今年は少雨の予想です。水不足が気がかりです。
【麦秋】(平成17年5月14日)
麦秋(ばくしゅう)という風景は今ではなかなか見ることは出来ません。当農場周辺はいま麦秋の言葉がまさにピッタリの光景です。愛媛県は全国一の裸麦の産地です。健康食品ブームで今作付けも拡大傾向にあるようです。
【道後の湯(5)】(平成17年3月27日)
道後温泉玄関口の市内電車の終点道後温泉駅です。明治の雰囲気を作り観光客減少に歯止めを掛けようとしています。下写真は小説「坊ちゃん」の時代に走っていた蒸気機関車を復活させ市内を巡っています。道後温泉駅では「坊ちゃん」と「マドンナ」が見送ってくれます。
【道後の湯(4)】(平成17年3月27日)
今回も句碑です。前回の一茶の句碑から100メートルも離れていません。この句は中学生時代の通学路にあったため暗記をしてしまいました。その時は別になんとも思いませんでしたが、後に子規についての講演会で「東京での闘病生活」を聞いた時、この句が思い出され不覚にも涙ぐんでしまいました。この句の前に当時無かった子規会館があります。
【道後の湯(3)】(平成17年3月16日)
松山は全国屈指の俳句どころで、市内いたるところに句碑があります。子規および門人の句碑が多い中で一茶の句碑が目立ちます。私がこの句碑を最初にみたのが中学生の頃でしたが本当に一茶が道後温泉に来たのか信じられませんでした。今では新しく解説板があり由来を説明してありました。(当時は句碑のみ)この句碑は前回の「湯釜」のすぐ近くにあります。
道後の湯(2)】(平成17年2月15日)
今回は湯釜(ゆがま)をご紹介します。奈良時代に作られ明治27年まで使用されていたものです。前回紹介した外湯から徒歩3分程度のところにあります。詳しくは下写真の解説看板をご覧下さい。
【道後の湯(1)】(平成17年2月6日)
養鶏場から北に車で20分ほどのところに道後温泉があります。日本最古の温泉として有名です。奈良時代に成立した「伊予国風土記」にはこれまで天皇等が5度来湯したとしています。特に聖徳太子が有名で僧恵慈らを伴い治療に訪れたといわれ、このとき太子は碑文を建てた記されています。(この碑文は現在まで不明)1400年前道後(にぎたつ)は奈良から朝鮮へのルートの重要な寄港地であったことでしょう。そして湯も自然に湧き出ていたと思われます。現在は地下数百メートルから汲み上げています。数回かけて道後を紹介します。写真は道後温泉本館(木造3層・外湯)。アニメ「千と千尋」の「湯屋」のモデルになったそうです。
【冬の石鎚連峰】(平成17年1月21日)
白く輝いている連山が石鎚連峰です。養鶏場からは左の一部しか見えませんが2Km程北へ移動すると全貌を見ることが出来ます。今年は殊のほか雪が多く真っ白に輝く山塊は他の山並みより一際目立ち神々しいばかりです。