【松山市街】(平成16年8月21日)

写真中央の山が松山城・瀬戸内海に見える島が興居島です。(右が北になります。)人口約48万四国最大の街です。1600年頃の松山城は勝山と呼ばれた山でその周辺には僅かな集落があっただけでした。それ以前は河野氏の居城があった道後が中心でした。松山市には鍛冶屋町・畳屋町・紺屋町・呉服町・木屋町・米屋町等の職人・商人町が多くありました。この事からも人工的に作られた街だとわかります。1694年には松山城下全体で家数5553軒だったそうです。
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【八坂寺】(平成16年8月7日)

養鶏場より西へ4Km程、四国山系の山を下った麓にあります。四国八十八ヶ所の47番札所です。寺伝によれば600年代に修験道の開祖「役の行者小角」が開山、大宝元年(701年)文武天皇勅願所として七堂伽藍を建てたといわれている。修験道の道場として隆盛を極めたが戦国時代に焼失し、後再建し今の地に移った。住職は代々八坂家の世襲で百数十代になると言う。四国遍路は大変盛んで若い人も多い。3枚目写真は若いお遍路さんの自転車。
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